中国部品調達 剣豪集団
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剣豪グループの創業史を振り返ると、その創業者である鄭剣豪の前半生が、中国改革解放の歴史にほぼ重なっていることに気が付きます。剣豪グループの存在は、まさに時代の流れに順応したものといえます。
一早くメリットを受けたのは当時中学、高校生の少年達でした。大学の入試試験制度が回復され、3〜4%の進学率でしたが、これでも多くの人々の運命を変えました。一生田舎で無名の木工職人で終わるかと思いながら、鯤鵬のように何時か翼を広げて、空を飛びたいと夢見た少年達が、これによって大きな転機を迎えました。
83年、首都北京にて大学の教育を受けることができました。また、運良く、87年、新卒のまま、日本へ留学の旅が始まりました。斬新な生活との出会い、世界観、人生観、価値観が激しく衝突し、崩され、修正され、また再編成されました。
93年、ケ小平の"南巡講話"が引き起こした経済ブーム、中国改革開放の第二のウェーブが、卒業後の進路に頭を悩ませている青年に開きました。国へ帰り、創業しよう。これは87年に初めて外国の土地を踏むよりも大きな勇気が必要でした。
学位を放棄したままで、サラリーマン生活を避け、私がやらないと誰がやるという胸中で故郷の寧波保税区-中国14の保税区の中の1つ-に戻り、一早く会社を設立しました。留学生が如何にして海外で高収入を手にしようと考えた時、企業、会社、公司の概念を持っていませんでした。
とにかく何かしようと、高等教育を受けていた北京に戻り、レストランの経営、次は文化事業の展開、輸入貿易を手がけましたが、全部失敗に終わりました。今となれば、資金も無く、経営の資源も無く、経営の知識も無く、失敗してもおかしくない状態でした。
混乱した社会秩序、経済秩序の最中、95年に金融詐称事件に巻き込まれました。任せていた副総経理が不備な手続きにもかかわらず、銀行より数十万元という融資をうけ、そして、その資金はあっという間に消え去り、人にも逃げられてしまいました。北京での事業失敗の上に、融資詐称事件にやられ、本当に雪の上に霜というのが、生まれ初めての窮地に追い込まれました。
日本に戻ってどこかに就職するか、それとも中国でもう一度立ち直るか、苦悶の日々が続きました。結局銀行、関係方面と再生の道を選びました。
日本留学中、社会活動に邁進した結果築き上げた長年の人脈関係が会社を救いました。95年、最初の輸出取引に成功しました。日本のバブル後人件費の高騰で、日本企業が台湾や東南アジアへ海外調達に踏み出し、さらには台湾、シンガポール、香港、インドネシア、東南アジアの飛躍発展がコストアップにつながったため、日本企業は、解放された10数年間経済が少しずつ軌道に乗り始めた中国に目を向けました。それが、剣豪グループに転機をもたらしました。
日中間に言葉の壁がなく、多数の人脈を持っていたことが、最初の剣豪グループの長所でした。商習慣もわからず、ビジネスのルールもわからず、貿易に対する知識もほとんどありませんでした。しかし、誠心誠意対応することで、お客さんの心をつかむことができました。そして最初のお客さんが、一番付き合いの長い得意先となりました。
輸出業務と同時に環境にやさしい緑化用の園林機械を海外から輸入し、国内販売を推し進めました。ところが、国内販売には、在庫を持つ資金、広告、販売費用が不可欠で、融資事件で抱えている負の資産しか持たない剣豪グループには精一杯の努力が必要でした。しかし会社は大きな発展を遂げることはできませんでした。
98年、剣豪グループの強みは何かを考え直す事から始めました。両国の文化を理解し、両国の商習慣を理解し、両国の言葉に困らない、それを特長として生かすビジネスは、日中間の架け橋としてのビジネスしかありません。
99,2000年度、日中間を往来し、部品調達業務の拡大を図りました。
最初2,3社だった取引先が10社ほどに増えました。
2001年末に、業務拡大を図り、日本関係先の応援で、日本剣豪集団株式会社を設立することができました。翌年、日本各地のジェトロさんの応援で、長野、新潟、千葉、愛媛、神戸など各地でビジネス交流会を開催することができ、中国へ進出する企業のサポートから、工業団地の建設、また、資材の調達に至るまで一歩一歩着実に進んでいます。
2003年に上海鄭剣豪貿易有限公司を設立しました。コストダウンのため、中国からの部品や資材調達だけでなく、日本からも、日本の良いもの、日本しか作れないものを中国へ持っていくのが狙いです。
ここ数年、浙江省寧波、杭州、平湖、江蘇省常熟、上海、北京、大連、ハルビン各地に、日系企業の中国進出実務をサポートし、また、中国での様々な問題の解決処理にも協力してきました。また、各地の行政の誘致活動に情報提供や、アドバイスをしてきました。
上記の蓄積を踏まえて、2004年末より、常熟で剣豪日本工業団地を独自の力で建設し、2005年6月に最初の日系企業1社が入居しました。誠心誠意の対応で、信頼を得ています。
剣豪グループは誠意を持って、日中間ビジネスに興味がある方々に、WIN-WINな提携を求めます。我々は今まで作り上げた基礎には満足せず、各分野をさらにプロ化、専用化のレベルに高めていきたく、有識者の協力を求めております。
剣豪グループは日中両国を熟知し、正しく両国関係を認識できる人材を求め、今は多くの中国人留学生が在籍しています。
我々は、個人が自分の夢を実現できる企業グループを作っていきたいのです。日中間の架け橋となる企業グループを今後も作って行きたいと考えております。
この目標を達成するために、我々は青春をかけてきました。おそらく、今後も我々の生涯をかけて作りあげていく事になるのでしょう。
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